曖昧の美学  - Essay - vol.1  …by水源純

■ 恋をした私は、いつだって曖昧

私は「曖昧」という言葉が好きだ。
はじめにそんなことを言うと、いい加減なヤツだ、と思われるだろう。典型的な日本人だ、とも。

でも、YesとNoの狭間だとか、数字でいえば0と1の間とか、割り切れない数だとか、人間の感情にはそんなものがたくさん存在すると思う。
人は、特に恋をした人は、曖昧な感情であふれている。

人はあらゆることを決断して、結果を出して生きているのだと思う。
決断する一歩手前は少なからず、曖昧な状態を持っている。
みんな持っている。

曖昧であることは、そう、中途半端であることでもある。
そんな宙ぶらりんな状態では、自尊心が保てるはずもないし、それがゆえに、他人を傷つけたりもするだろう。
だから、曖昧は嫌われる。

私だって曖昧な状態は嫌いだ。毅然としていたい。
それなのに、恋をした私はいつだって曖昧な感情であふれてしまう。
存在してしまうものは、認めてやるしかない。

だから私は、曖昧な状態も無視したくない。
営業成績の棒グラフみたいに、結果ばかり見なくてもいいではないか、と。
せめてプライベートの恋愛ぐらいは、
途中経過の曖昧なぶぶんも、認めてやらなきゃ、と。
せめて自分自身だけは、と。

あぶないのは、曖昧さに心地よさを憶えてしまうことだ。
曖昧中毒とでも言おうか。
お酒もタバコもほどほどなら、大して害を与えないが、
中毒となると話は別だ。中毒はやはり危険である。
ほどほどに。
などと言う言い方も、また曖昧。

【プロフィール】
水源純(みなもとじゅん)。1975年千葉県松戸市生まれ。
共立女子短期大学を卒業後の20歳の頃、五行歌を書き始める。
1999年処女歌集「この鳩尾へ」刊行。2002年第二歌集出版刊行予定。
※五行歌とは、古代歌謡をベースにした新詩型。
俳句や短歌と違い、季語なし、文字数自由、五行歌で書けばいいという詩型です。

 
※このコラムはほぼ「恋マガジン」配信当時の内容です。
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