■ 恋愛やめますか、それとも人間やめますか
春になると思い出す女性がいる。今回はその人の話。
ある時、私は非常に美しい女性に出会った。
母親がヨーロッパ系の白人で父親が日本人のいわゆる「ハーフ」。
本業は学生であったが、その美貌を活かして雑誌のモデルをしていた。
彼女が街を歩くと通りすがりの人が振り返るほどの美人、といえば分かりやすいかもしれない。
そして、わかりやすい自分は恋に落ち、あの手この手の作戦が功を奏してつきあうことになった。
彼女は瞳が綺麗で、今まで自分が出会ったどんな人よりも美しく笑った。
そして彼女の美貌は自分の自己顕示欲を十分に満たしてくれた。
しかし、徐々にその美しい笑顔の裏側に何かがあることに気づき始めた。
彼女は、他人に気づかれないように信じられないほどの量の食べ物を胃に流し込み、
すぐさまトイレに駆け込み泣きながら吐いた。
ある程度そんなことが続くと今度は全く食べ物が喉を通らない日が続いた。
夜中に起きて一人暮らしの台所の皿をすべて割りだしたり、朝まで時計の音を聞きながら部屋の隅で「チクタク、チクタク」とつぶやいていたり。
徐々に事態はエスカレートし、様々な方法で自殺未遂をくりかえした。
またある時は「生きていることに疲れたから、一緒に死んで」と言いながら寝ている私の首をしめて殺そうと試みたり、訳もなく私に腹を立て台所の包丁をつかみ、投げつけられたこともあった。
それでも普段の彼女は世の女性が羨むほどの美しい笑顔を振りまいていた。
なんとか彼女を立ち直らせようと、いやがる彼女を連れていろいろな病院をまわった。
しかし事態は何もかわらなかった。原因は彼女の家庭環境にあったからだ。
他人から見たら妬ましいほどのハーフ特有の美貌も彼女にとってはコンプレックスであり、ハーフということが彼女自身のアイデンティティを確立させることを困難にしていた。
また、異質なモノを受け入れにくい日本社会では幼少の時にいじめられていたことも想像に難くないであろう。
それに加えて、ある程度物心ついたときから、父親は腹が立つことがあると彼女に暴力をふるい、挙げ句の果てには「しつけ」と称して布団の間に彼女の顔をうずめて後ろからレイプをすることを繰り返した。
さらに、彼女が高校生の頃両親は離婚をした。
金と欲にまみれた泥沼の離婚裁判がはじまり、日本語の得意でない母親の代わりに彼女は裁判の手続きを行わなければならず、それを面白く思わない父親はなおさら腹を立て一人暮らしの彼女の家に押し掛け、暴力をふるい、お金を巻き上げていった。
その度ごとに彼女は父親から身を隠すため引っ越しをしなければならなかった。
そんなことが常に彼女の身の回りでおこっていたのでどんなことをしても家族がこの世界にいるかぎり、そう簡単には彼女自身の問題は解決しなかったのだ。
そのほかにも健康面のこと、その他の親族のこと、とにかく数え上げればきりがないほど辛い出来事がおこり、最後には二人でどこか海外に逃亡するか、二人で自殺しようとバカみたいに真剣に話し合うようになった。
しかし、最終的に私はそのどちらも選ばなかった。
すっかり疲弊しきった心と体は彼女から逃げ出すという選択肢を選んだ。
たまたま母親の用事で彼女がイギリスに1ヶ月帰国したとき、彼女に会わない私は非常に心穏やかな日々を過ごせた。
いままでの煩わしい出来事からすべて解放されたとき、もう一度あの生活が戻ってくることに恐怖を覚えてしまった。
そして、彼女が日本に戻ってきても、嘘の理由をでっちあげ、徐々に会わないようにしていった。
もちろん、そう簡単に彼女がそれを納得してくれるわけもなく、凄惨な修羅場を何度もくぐりぬけなければならなかったが、それでも自分が生きていくためにはそうするしかないのだ、と自分に言い聞かせ、心を鬼にして彼女の元から離れていった。
気がつけばつきあい始めてから3年という月日がたっていた。
私が彼女の前から逃亡した後も、彼女は人前でも雑誌の中でも美しく笑っていた。
心の傷の深さを他人に見せないようにするためにあんなに綺麗に笑っていたのかもしれない。
いまも彼女はどこかで幸せに笑っているだろうか。
狂気と儚さを内包する美しさを持った女性。なんだか桜の花に少し似ている気がする。
【プロフィール】 木原知美(きはら さとみ)元東京パフォーマンスドールリーダー。 ブランドの服飾デザイナーを経て、現在は絵本を制作中。 |
※このコラムはほぼ「恋マガジン」配信当時の内容です。
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