【韓国女子旅#2】私が旅行嫌いで旅行オンチになったワケ:2024年11月13日㈬

こんにちは、アンジーこと安藤房子です。

このコーナーは、旅行オンチな親子が韓国旅行を楽しむまでの体験記です。

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◆【韓国女子旅#1】旅行オンチ親子の韓国女子旅日記、はじめます:2024年11月7日㈭

さて、今回は、「私が旅行嫌いで旅行オンチになったワケ」についてお話ししたいと思います。

いえ、ね……少しは旅行をしたことがあったんです。学生時代にはバリ島に2回、その後はニューヨークとラスベガス。韓国も20年くらい前にいちど、行ったことがあります。

国内旅行も多少は出かけて来ました。学生時代には伊豆や逗子、新潟など、サークル活動の一環で出かけましたし、その後は、家族と帰省がてら温泉やスキー、近場の温泉も。

だけど……心底楽しめていたのかな? というと、それはごく一部でした。どこか、ストレスを感じながらの旅行が多かったのです。

🛩経済的な余裕がなかった学生時代

まず、私は常に、お金に追われる暮らしだったように思います。学生時代は、親元を離れて一人暮らし。ありがたいことに、両親から仕送りをしてもらってはいましたが、まったく足りなくて、バイトばかりの毎日。

それでも、なかなか贅沢はできなくて、サークル活動の旅行費は、また別途、両親から出してもらっていたのです。

それでも、当時の彼氏となんとかバリ島へ。たしかローンだったんじゃないかな? とても楽しかったけれど、20万円ほどのローンが残りました。同じ彼とまたバリ島に旅行したのは、大学4年の卒業式の頃。

この頃は、実家からの仕送りも途絶えてしまい、本当にお金がなくて、彼氏から旅行代を全部支払ってもらいました。

サークルの旅行も彼氏との旅行も、とても楽しい思い出ではあるのですが、いつも心のどこかで「お金を使うことが不安で仕方がない」という気持がありました。

🛩社会人になったら時間的余裕が作れずに……

社会人になっても、経済的不安はずっと続きました。最初は会社勤めでしたが、お給料が安くて、学生時代より大変な暮らしに。

そんな中、私は「書く仕事をしたくて」いくつかのスクール(宣伝会議、日本脚本家連盟の講座)に通っていたので、さらに貧乏に……。

ちいさな広告制作会社に転職してコピーライターになった頃は、深夜残業と休日出勤が当たり前のハードワーク。

その会社の社長は気前がよくて、「税金でお金を持っていかれるくらいなら、社員に福利厚生で海外旅行をさせてあげたい」という考え方の方でしたが、私は、最初の韓国旅行はドロンしました。

なぜなら、旅行に行くより、とにかく休みたかったからです。気が合うとは限らない人たちと、不慣れな海外。それよりも、数日間、家でゴロンとしていたかった。

なので、社長から「おー安藤、パスポートあんのか?」と尋ねられても、「はー……紛失していて」とモゴモゴ。

実際、紛失をしていて、でも旅行には行きたくなかったので、結局、紛失のまま過ごしました。旅行に行かずに休めてホッとしたことを、今でもよく覚えています。

しかし、その後も貧乏生活は続きます。お給料は変わらないのに、頻繁に友達の結婚式と披露宴。そのたびに数万円が飛んでいきます。

会社がニューヨークとラスベガス旅行を段取りしてくれたときにはさすがに行きましたし、それなりに楽しめましたが……「現地ではこれを観てくること」という社長のノルマがとても嫌でした。後になって思えば、とても身になったと思えるさまざまなショーも、当時は、観に行くのが面倒でたまりませんでした。

また、一緒に旅行に行く人は自分では決められず、また、旅行中はずっと同室なのもストレスでした。(一緒にいて楽しい方もいました。でもどうしてもだめなお相手も……。)

それに、私は神経質なところもあって、誰かと同じ部屋でずっといるなんて、到底無理っていう感じなのです。まあ、会社のお金で行かせてもらっているので仕方なかったのですけれどね。

このような体験から、「旅行は嫌」という意識は、ますます強くなっていきました。不思議です。学生時代は、みんなと同じ部屋はなのはちっとも気にならなかったんですけどね。おそらくこのあたりは、もともとの神経質な面が、社会人になってから膨らんでいったのだと思います。

🛩夢を追いながら彼氏を養い、ますます貧乏に……

当時の私はコピーライター。でも、自分がずっとその仕事をしていられるとは思っていませんでした。なぜなら、私がいちばん書きたいのは「自分のこと」。そして、詩や作詞という「表現活動」をしたかった。

なので、ハードワークの合間をぬって、私、文章を書き貯めたり、文章関係のスクールに通ったり、そこで出会ったご縁へのチャレンジに時間を費やしていました。

そう。どうしても夢を実現したくて、旅行どころではなかったのです。夢が第一。ほかのことに時間やお金を使っている場合ではない、という気持が強かったのかもしれません。

たまに東北の実家に帰省するのが精いっぱいだったのです。

それに加えて、当時からつい10年ほど前までは、私は、彼氏➡家族を養う暮らしでした。「流れ」でそうなってしまったとはいえ、自分で選んだことですから、養わざるをえません。

実はそんな中、その都度、家族旅行も経験しましたが……これが、ぜんぶ楽しくなかったのです。まったくもって、ひとつも楽しくなった。逆に辛かったのです。

なぜか?

まず、引き続き、お金がない。旅行に行くくらいなら帰省しなくちゃと、予算との間でいつもジレンマ。そして、もうひとつ、旅行が嫌になった理由があったことに、最近気づきました。

私が旅行が嫌いになったのは、「行きたいところに行っていなかったから」「やりたいことをやれていなかったから」だったのです。

🛩スキーも温泉も大嫌い……

家族はスキーや温泉に行きたがるので、「まあ、家族サービスかな」と、言われるがままに行きます。でも、本当は寒いところが苦手でスキーは嫌い。みんなが第好きな温泉も、大の苦手です。

だって……温泉って、みんなが入るんですよね? 男湯と女湯が時々チェンジするっていうことは……無数の男性の「裸」が浸かったお湯に浸からなければいけないんですよね?

それに、オンナ同士だとしても、娘とならまだしも、ほかの人と温泉に入るなんて、すごく嫌。正直なところ、温泉には1ミリも興味がなく、お風呂くらいひとりで入りたいのです。

しかも、温泉旅館のご飯、どんなに美味しくても嫌なんです。夕飯なんて、ものすごい量が出て来ませんか? 3分の1も食べられない……適量のものをきれいに並べてほしくても、旅館のお料理はもう決まっています。もう、まったく楽しくないのです。

だけど、私は、がんばって家族の行きたいところに、しぶしぶ着いて行っていたのです。まあ、結局のところ、自分の意見をちゃんと言わずに、何年も過ごしたことが、旅行嫌いになった大きな理由となりました。

そしてもうひとつ。私には、どうしても旅行に時間とお金を費やす気持ちになれない大きな理由があったのです。

(つづく)

 


今日は、約30年前のラスベガスの写真(笑)。宿泊していたルクソールホテルから数分のコンビニ。毎日のように、ここでおやつを買っていた。

 

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それでは、また書きに来ます。

アンジーでした。

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