彼女から突然の別れを告げられた男友達が何度もぼやく。
「あれだけ“好きだ好きだ”って言っておいて、いったい何だったんだよ」
彼女の一目惚れで始まった遠距離恋愛は、
彼女の「もう、その気になれない」の一言であっけなく終わった。
付き合って2年。
1ヶ月前までは「ケンちゃんがいなくなったら死んじゃうから」
と、毎日何度もメールや電話で言い続け、
彼はふたりで住むための家具を買って“その日”を待っていたけれど、
彼女はふたりのための家具を一度も見ることなく、
別れのメール1通で去っていった。
ケンちゃんがいなくても彼女は今日も元気に生きている。
むしろ死んじゃったのはケンちゃんで、
「人の気持ちはこんなに簡単に変わっちゃうのか?」と
細胞の一つ一つまで傷ついたような情けない声で彼女の名前を呼び、
彼女がいないという現実と、あんなにも楽しかったふたりの過去との間を
夢遊病者のように行ったり来たりしている。
中島らもが稲垣足穂の「詩は歴史性に対して垂直に立っている」
という言葉を引用して、こう言っている。
――恋愛は日常に対して垂直に立っている。
その一瞬が永遠をはらんでいる。
その一瞬は、通常の時間軸に対して垂直に屹立していて、
その無限の広がりの中に、
この世とは別の宇宙がまたひとつ存在しているのだ。
(「恋は底ぢから」中島らも著 集英社文庫より)
恋は、日常に垂直に立っている非日常だということを
わたしたちは、つい忘れてしまう。
冷静になれば、人の気持ちは変わっていくという当たり前さに
虚しさは感じても戸惑いはしない。
だって、本当のことだから。
それなのに、恋をすると、
半年前はそうだった。3ヶ月前も、1ヶ月前もそうだった。
だから今でもそうで、これから先もそうだろうとふたりの愛を過信する。
一瞬が永遠をはらんでいるから、
恋は切なくて、美しくて、きらめいている。
お魚の美味しい身の部分だけを食べ続けることができれば
恋はいつだって甘美でしかあり得ない。
でも、美味しい身だけを食べ続けるには常に何匹もお魚が必要で、
1匹を食べ続けたら、苦い内臓もあるし、ときには骨がのどに刺さるし、
食べ飽きちゃったりもする。
そのとき人は、一瞬をはらんだ永遠の積み重ねが
どれほど稀なことなのかを知る。
電話口で溜息をつき続けた男友達が、電話を切るときに言った。
「彼女にとって、俺との2年間は何だったんだろう」
彼女は“恋”をしていたの。とても恋をしていた。
この世とは別の宇宙で非日常に陶酔して、
そして、UFOに乗って地球に帰っていった。……ひとりで。
置いてきぼりを喰った彼は「勝手だよなぁ」と嘆くけれど、
恋は身勝手なものだと、彼だってよく知っているはずだ。
もし、ふたりで地球に戻ることができたら、
恋は愛に変わったかもしれないけどね。
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