ぼくの名は皐月けんた。28歳、独身。
ぼくは、物心ついたときから自分が大好きだった。いや、はじめは大好きというより人からほめられたかった。6歳上の姉は真面目で、温厚で、努力家、成績優秀だったもんだから、近所の人も、親戚も、もちろん両親も姉をほめたたえた。そして、幼い僕は姉がうらましかったのだ。気がついたときには姉に対する劣等感でいっぱいだったのである。
姉よりもたくさん、たくさん「いい子ねぇ。かわいい子ねぇ」と言われたくて、一生懸命優等生を演じていた。
小学生の頃はよかった。教室に先生が入ってくると「みんな、静かにしろよ」とデキる学級委員長を気取り、体育で跳び箱の時間なんかに、先生から「皐月くんが模範演技をしますから、よく見るように」なんて調子でみんなの前で紹介してくれて、体操の選手きどりで手を挙げてから助走し、跳び終わってグリコマークよろしく両手なんてあげちゃったりして。男の友達も多かったし、女の子からももてた。
中学生になるといきなり転機がおとずれた。みんなから愛されなくなってしまった。自分が大好きな自分をみんなはかわいがらなくなったのだ。理由は簡単だった。それは「ウザかった」から。非常に分かりやすく、かつ残酷な理由だった。優等生など、鼻につくだけでちっともおもしろくないからだ。
そして、単純なぼくはグレた。優等生がダメならワルでいこうと。悪いことをすれば目立てる。目立てばまたぼくをかわいがってくれるし、愛してくれると考えたのだ。なんという変わり身のはやさだろう。
しかし、その計画はもちろん失敗した。悪さをすればするほど人は離れていった。残ったのは仲間の悪ガキだけになってしまった。こんなはずじゃなかったのに。もてて、愛されて、好かれて、街を歩けば「皐月さーん」と黄色い声があがる人生を歩むはずだったのに…。
人生の軌道修正をするため、高校にはいるとここぞとばかりにイメージチェンジをはかった。愛される皐月けんたになるための高校デビュー。学校にも行かず、必死に愛されるための作戦を遂行した。
その頃、ぼくの中で格好いいと思っていたサーフィン、テニス、日焼けに明け暮れるという作戦だった。いま考えればただの軟派兄ちゃんになったのだ。
愛される自分になるために。
愛されるためならいっそのこと石焼きイモのトラックをジャックして「甘くてーおいしいーほっかほか。石焼きけんたーはいらんかねぇー」と拡声器を使って売り歩きたいぐらいだった。
そんな過去をもつぼくだから、今でも自分のことをちょっとでも愛してくれる人がいるとついつい夢中になってしまう。それは男でも、女でも。
頬に熱烈なチュウをお見舞いしたい気分になってしまう。
いやいや、手をつないでブンブン振り回して、スキップしながら家にお持ち帰りしてしまいたい気分になってしまう。そんでもって、一緒に酒でも飲みながら話をするのだ。もちろん議題は「皐月けんたを愛するわけ」
それも、一対一ぐらいじゃだめ。朝まで生テレビみたいに、みんなでぼくの素晴らしさについて語ってくれないとだめなのだ。田原総一朗が「いや、皐月君は日本人の鏡だ」と吠え、テリー伊藤が「地球を救う救世主は皐月さんだよ」と絶賛する。そんな光景がぼくの目の前に繰り広げられれば…あぁ、快感。
そして、究極はこれ。名づけて「逆SMプレイ」。黒い革のコルセットに身を包み、ピンヒールを履き、しなるムチを手に持った女王様が「おい、奴隷、あんたはすごすぎるんだよ。偉いんだよ。素晴らしいんだよ。ほら、頭をおだし」と言って差し出した頭を「いいこ、いいこ」してなでてくれるプレイ。女王様が奴隷をほめちぎるのだ。こんなプレイのあるお店だったら、マニアなぼくはきっと連日通い詰めるに違いない。しかもイキっぱなしで。
つまり、ぼくは世界中の人に愛されたい、抱きしめられたい、チュウされたいのだ。まだまだほめられ足りないのだ。もっともっといっぱいの人に愛されたいのだ。
あぁ、こんなぼくはやっぱりまだまだ結婚ができない。
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