「冬のソナタ」、「世界の中心で愛を叫ぶ」と、純愛ブームが続いていますね。
あなたにとって、純愛とは、どんな愛ですか?
片思いの相手を、ずっと愛し続ける愛でしょうか。
自分がぼろぼろになるまで、つくして、つくし続ける愛でしょうか。
私は、これらの愛=純愛とは、あまり思っておりません。
なぜかというと、これらの愛のカタチは、自己満足で終わる場合が多く、
相手も自分も幸せにならないケースが多いからです。
もちろん、何年間も片思いをし続けて、ひとつの恋を実らせる人も
いるでしょう。
つくすことに、心からの喜びを感じる人もいるでしょう。
しかし、
・告白してふられても、ずっと片思いをし続けて、結局恋人ができないまま
・つくすことに疲れてしまい、相手のことを責めるようになってしまった
・つくしたら相手から鬱陶しく思われた
という失敗ケースのほうが圧倒的に多いのです。
本人は純愛のつもり。だけど相手の人は、そうではない…。
これって、うまくバランスのとれていない状態ですよね?
そして、片思いにしろ、つくす愛にしろ、
「待つ」という行為が続いてしまいます。
たとえば、こんなふうに、です。
「私は、これだけあの人を好きなんですもの…。
いつかきっとわかってくれるはず。それをじっと待ってみよう」
「彼のことが大好きだから、貢げるだけ貢ごう。
きっと彼はいつか、私のことを一番大切にしてくれるようになるはず。
それまでじっと待ってみよう」
「待つ」ことを楽しめる人はいいのですが、
多くの人の場合は、待つことをストレスに感じてしまうようなのです。
たとえば、こんなふうに、です。
「私は、これだけあの人を好きなんですもの…。
いつかきっとわかってくれるはず。それをじっと待ってみよう」
「彼のことが大好きだから、貢げるだけ貢ごう。
きっと彼はいつか、私のことを一番大切にしてくれるようになるはず。
それまでじっと待ってみよう」
こうして待っているときというのは、「ガマン」している状態です。
人間の心は結構弱いもので、ガマンをし続けていると、
ネガティブな感情が湧きやすくなっていきます。
たとえば、
「こんなにガマンしているのに、彼はわかってくれない」
という感情です。
そして、この感情がヒートアップしたときに、
彼のことを責める気持ちが生まれてきやすくなってしまうのです。
そうなると、待つことは、辛いだけの行為になってしまいます。
そして、あなたが、辛さのあまり、ネガティブな感情を相手に
ぶつけてしまったとき(怒ったり、泣いたりなど)
彼は、あなたから去っていきたくなってしまいます。
こうして…。
本人は純愛のつもりで行動をしていても、
そのことが相手の人の迷惑になってしまうことが多々あるのです。
ですから、純愛とガマンをはきちがえてはいけないのです。
本当の純愛とは、私は、ただただ愛することではないかと思うのです。
そして、相手の人の自由を願う愛のこと、
束縛という行為からは無縁の愛のこと、
相手の人を責める気持ちが欠片もない愛のことではないかと。
たとえ、あなたが、どんなに彼のことを好きだとしても、
彼を責める気持ちになりそうになったら…。
その愛は、純愛とは呼べないのではないでしょうか?
待つのが辛くなったとき。
お互いを苦しめる前に、
次の純愛に進むほうがいいのかもしれません。
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