恋愛は楽しいし、きれいだと思う。なのに必ず「厄介なこと」がつきまとう。
それなしでは存在し得ないほどに。
私は、厄介なことは一切嫌いだ。なるべくなら避けたい。
だからといって、しないわけにはいかないのも事実。だって墜ちてしまうんだもの。 ある春の日、私は墜ちた。
彼にも私にも恋人がいたし、お互いがお互いの相手に満足していた。
それなのに、私たちに引き合う力が生じたのは特に理由などない。
単なる一つの恋である。
私たちは似ていた。
恋愛を極力楽しむためにする努力なら、怠らないところが。
そのために、厄介なことを提示しないというのが、暗黙の了解だった気がする。
たとえば、未来。たとえば、相手の恋人について立ち入ってもの言うこと。
私たちは、お互いがお互いに代名詞を付けなかった。
恋人でもなんでもなかった。好きだっただけで。
代名詞、つまり役割を必要としないこんな関係を、私は「曖昧な関係」と言う。
ただ好きだからという理由だけで、ただ会い、ただセックスする。
そこには、厄介なこと一切が存在しない。
あえて言えば、存在させぬようにお互いが努めて、ようやく成り立つ関係である。
恋愛は普通、会っているときも会わないときも継続している、線状だと思う。
だから、楽しいだけじゃ済まなくなるのだろう。
けれど曖昧な関係は、線にならない。点々だ。
会うときだけ相手のことを思う。好きだと実感する。それに浸っている。
あまりに刹那的で、花火みたいだけれど。
そういえば、彼と会ったあとの帰り道は、花火大会の帰り道と似ている。
心地よい哀切感に浸りながら、日常の雑多へ帰って行く感じが。
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