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   もてない女   - Essay - vol.3  …by香月未央
   
   ■ Once in a blue moon〜めったにない恋〜
 
好きな男から、つきあって2週間でプロポーズされたことがある。びっくりだった。もてない私にとって、めったにない出来事だった。
「私のどこが好きなの」
と、尋ねると、
「顔が好き」
と言う。これにも、びっくり。どう見ても美人とは言えないこの顔を褒められて、私はびっくりしながらも嬉しかった。

めったにない出来事に浮かれた私は、ひとり暮らしのアパートをひきはらい、彼のマンションに転がり込んだ。とりあえず、籍はいれないまま一緒に住むことにした。

しかし、待っていたのは、喧嘩だらけの毎日。文筆業でバツイチの彼は、「未央は文学の知識がなさすぎる。話し相手になんないよ」と、罵る。私は、「借金が250万もあるくせに、なんで毎晩、外で飲もうとするの」と言い返し、飲んでいるバーボンを、男の頭からビシャッとかける。すると彼は、なぐりかかってくる…。毎晩のように、明け方まで、言葉と暴力のバトルが続いた。

次第に、彼は、帰ってこなくなった。たまに帰ってくると、お気に入りのポールスミスのシャツやカルバンクラインのTシャツをバッグにつめて、また出かけてゆく。どんなにひきとめても。私は、いつ帰ってくるかわからない彼を待ために、ほとんどの時間を部屋で過ごすようになった。

彼は毎晩、どこにいるのだろう。前の奥さんのところだろうか。
心の中で、不安だけが膨らんでゆく。
ふと、彼の過去を知りたくなった私は、彼のいない彼の部屋で、彼のクロゼットをすみからすみまで調べはじめた。気が狂ったように、彼のクロゼットの毛布や手紙や古い手帳たちを、部屋中にぶちまけた。

すると、クロゼットのいちばん奥から、バタイユの本が出てきた。パラリとめくると、1枚のモノクロ写真が。写真の中には、私とそっくりで、私よりずっと美しい女が、微笑みながら佇んでいた。直感で、前の奥さんだと思った。

彼のいない彼の部屋で彼を待ちながら、私は過食症に陥った。
外出するのは、コンビニに食料を買い出しに行く時だけ。私が不在の時に彼が帰ってきて、また出かけては困ると思い、買物を終えると、走ってマンションに戻る。そして食パンや弁当や肉まんを片っぱしから食べて、喉がつまるとバーボンで流し込む。食べ終えると、すぐさまトイレに行き、口にひとさし指と
中指をつっこんで、泣きながら吐き出す。黄色い胃液しか吐き出せなくなるまで、すべてを吐き出す。

苦しいその行為を、やめることができなかった。だって、吐き出している時間だけが、彼を待つことから逃れられる、唯一の時間だったのだ。

過食症になり、しばらくたった夜、彼がひさしぶりに戻ってきた。彼は部屋に入るなり、泣きながら話し始めた。
「ごめん。僕は女の人とセックスはできるけど、好きにはなれないんだ。僕の今の恋人はね、男の人なんだ」

しばらく、彼の言葉の意味を理解できなかった。リビングにペタンと座りこんだまま何も言えない私の目の前で、彼は立って俯いたまま、泣きじゃくっている。その涙が、間接照明に照らされて、オレンジ色の飴玉のように見える。
初めて見る、彼の泣き顔。
もともとモデルのようにシャープな顔が、その夜は、特に美しく見えた。私は、自分の恋の終わりが訪れているというのに、つい、「綺麗に泣く人だなあ」と、のんきに見とれてしまったほどだ。

どれぐらい、見とれていただろう。どれぐらい、沈黙していただろう。彼は、泣きはらした真っ赤な眼で、こちらをじっと見つめながら、ぽつりぽつりと語り始めた。

彼の話は、とても複雑だった。
彼がいちばん好きなのは、元の奥さんでも今の恋人でもなく、Sという男だった。彼とSは、長いことつきあっていたのだが、ある日突然、Sは彼の前から姿を消してしまった。そこで彼は、Sの元恋人である、前の奥さんと、結婚した。Sを間接的にでもいいから所有したかったのだそうだ。

ところが、もともと女を愛せない彼は、前の奥さんと別れることに。そんなところに私が現れた。彼は、“Sの元恋人である前の奥さんと顔が似ている”という理由だけで、私を所有しようとしたのである。いや、私というフィルターを通して、やはり、Sを所有したかったのだ。だから、プロポーズしたのだ。

私に対して、何の不満もなかったそうだ。私をフィルターにしながらSのことを思い出せるのが、最初はとても嬉しかったそうだ。しかし、次第に、女であるである私と一緒にいることが息苦しくなり、男の恋人の部屋へ寝泊りするようになったのだと言う。

そんな、ばかな。なんという敗北感。めったにない恋のはじまりに浮かれていた私は、めったにない恋の結末に愕然としながら、彼の部屋から出ていくしかなかった。

恋なんて、人それぞれだ。だから、彼を責めることなんて、できない。そう思いながらも、ひとり暮らしを始めた私の過食症は、ますますひどくなっていった。

それから数年後。ようやく彼のことからたちなおった頃のこと。恋のドラマを見ていた時に、Once in a blue moonという言葉を知った。日本語に訳すと、「めったないこと」という意味だそうだ。なんて綺麗な言葉なんだろう。そして、なんて恋っぽい言葉。ドラマを見ながら、私は、自分自身のOnce in a blue moonを思い出し、心が、ひりひりとしてしまった。

今でも、ふとした瞬間に、彼のことを思い出す。たとえば、同性しか愛せないという人と出会った時。彼と似た人を街で見かけた時。そんな時、かつての記憶が鮮明に蘇り、涙がとまらなくなることがある。涙は嗚咽になり、喉が苦しくなり、吐き気がしてきて、あの過食症の日々を思い出す。

だけど、「あんな恋、しなければよかった」とは思わない。
だって、彼は、めったにないハッピーな気持ちと、めったにないブルーな気持ちを、私に経験させてくれたのだ。
Once in a blue moon。
あの恋のおかげで、私は、“人それぞれ”という言葉の、本当の意味を知った気がしている。恋の嗜好も、恋のやり方も、そして生き方も、人それぞれなんだ、と。それを知った私は、他人に対して、すこしは優しくなれるようになった気がするのだ。

彼はまだ、Sの影を追って生きているのだろうか。それとも、誰かを本当に愛せるようになったのだろうか。どちらでも、かまわない。ただ、彼が幸せでありますように。心から、そう祈っている。




 
【プロフィール】
香月未央(かづきみお)
ライター。女性誌を中心に執筆活動中。今回、なぜ自分は「男にもてない」
のかを分析したくなり、エッセイを書くことに。
   
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