カンガルーのお腹の袋から顔を出している赤ちゃんはとても可愛いものだが、袋が窮屈になってくると、母カンガルーは子を威嚇して、親離れをさせるという。
だが、袋に入ったまま大きくなりすぎた子供はどうなってしまうのだろう?
友人、則子の彼氏は、ちょっと昔、結構売れていたバンドのドラマー。最初、則子は違うバンドの“おっかけ”をやっていたのだが、ライヴの後の打ち上げの時に「あんな奴を追いかけるより、俺の方がいいぞ」と、サポートで来ていた彼にナンパされたのだとか。
甘いマスクで、ボーカルよりも人気があったという。今でもその片鱗は残っているものの、中年の脂肪が万遍なくその輪郭を覆っている。
面食いの則子が、なぜそんなオヤヂに入れ込んでしまったかと言えば、彼が淋しがり屋だったから。いつも大勢の女性ファンに取り囲まれているくせに、一人になると電話をかけてきて「俺、淋しいんだよ、一緒に飯を食わないか?」と甘えてくるのにほだされてしまったのだそうだ。
そして、強気そのものに見える則子に「お前、本当はそんなに強くないよ。俺と同じだから分かるんだ。無理すんなよ。」と言ってくれるのだという。
この人だけには私の弱い部分を見せてもいい。
則子はそんな気になってしまったのかもしれない。
しかし、則子には強力なライバルがいた。、彼がデビューした10代からの最古参のファンで、彼を公私ともに牛耳っているお姐様だという。
人妻でありながら、ご主人と別居して彼の暮らしの面倒を見ているのだそうだ。
初めのうちは、則子のことも新入りファンとして妹のように可愛がってくれたのだが、彼が内緒で則子に電話したのを知った途端、ねちねちとしたイジメ攻撃が始まった。
則子が彼の部屋にいる時に限って呼び出しの電話をかけてくる、ライヴの時には、ことさら子分のように顎で扱われる。たまりかねた則子が文句を言うと、「あなたにこの人が養えるの?私がいなかったらこの人何もできないのよ」と鼻先で笑われたそうだ。
ついに則子が彼に「彼女と私のどっちを取るのかはっきりして!」と詰め寄ると彼は不貞腐れたように「お前が決めてくれよ。」と言ったという。
則子にとっては、その腑甲斐なさも愛おしく思えるらしいのだが、音楽のこと以外は何ひとつ自分でやろうとせず、仕事の交渉から、家賃や光熱費の支払まで、その彼女にさせている毎日の中で、彼が彼女を切る可能性はほぼゼロに等しかった。
そんな時、則子は、彼の実家のバースデーパーティーに招かれた。もちろん例の彼女も一緒だが、火花を散らしながらも二人ともにこやかに祝いの席に着いた。
そこで二人が見たものは、彼が母親に、手作りの特大バースデーケーキを食べさせてもらっている姿だったという。
口のまわりをクリームだらけにしながら、子供のように喜々として甘える彼と、中年のオッさんを幼児のようにあやす母親。
あっけにとられている則子の横で、彼女がため息まじりにこう言ったという。
「私が彼と結婚しなかったわけ分かるでしょ。誰もお母さんには勝てないのよ。」
そう、大きくなりすぎた子カンガルーは、二度と袋から出られないのだ。
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