私がアメリカ人を好きだった理由。
それは、彼らとの恋が英語で進行されるからだった。
何の違和感もなく甘い声で「ハニー」「スイーティー」と呼ばれるたびにとろけてしまう。
日本語でする恋は、英語に比べたら「甘さ」が極度に足りないのだ。
恋愛は、自分が恋している以上メロメロの甘さを望むのが当然で、英語で恋するメリットはその甘さが100%なところじゃないかと思う。
アメリカ生活で私が最後に恋した人は、日本人だった。
それまで見栄っ張りで、好きな人が日本人だったとしても、頑として彼女という立場は避けてきた。
アメリカに住んでて日本人とつきあっている、という状況は「アメリカに来てまでなぜ?」的な寒さがあり、どうしても許せなかった。
けれどそんな見栄も意地もどこかへ吹っ飛んでしまったほど、きっと彼に夢中だったのだ。
彼と知り合ったときには、たくさんの男の子と頻繁に会っているときだった。
人生が華のように楽しくてめくるめいていた、まさに絶好調のモテ期だったのだ。
好きな人がたくさんいて、電話をくれる人もたくさんいて、ちょっとの恋を口いっぱいに、たくさんたくさん頬張っていた。
そんなときに彼と知り合い、みるみるうちにその恋にのめり込み、思った。
全身全霊で恋をするぞ、と。
片手間では自分の気持ちを持て余す、それくらい大好きになってしまったのだ。
全身全霊で恋をする。
それは幸せも痛みも、それまでの恋とは比べものにならないほどの重さだった。
彼は難しい人だった。
恋をして、好きでいれば何もかもOKとは口が裂けても言わない。
人とはこうあるべき、そんな小難しいことを並べ立て、私の生き方を激しく非難した。
彼をもうすでに大好きになっていた私は戸惑った。
私に恋をしながらも、感情よりも理性を信じる人。
彼の言葉に傷つきながら、それでも彼の「感情」を垣間見ると離れられなかった。
彼との恋を思い出すと、いつもマブタの裏に浮かぶのは、彼と暮らした埃っぽい部屋と、その部屋のソファーで心を痛めてる自分。
痛んだ心を引き摺りながら、彼に可愛がられて幸せを感じている自分。
嵐のようにいつも荒れた心で彼に恋をしていたように思う。
彼のことを全身で必要としながらも、彼といることに莫大なエネルギーを消費して疲れ果ててしまうのだ。
好きと嫌いの極地を毎日行ったりきたりしていた。楽になりたいと思いながら、それでも彼といることを選び続けた毎日だった。
それは彼のほうも同じだったのだと思う。
理不尽な怒りや恋心をぶつけあって、それでもお互い心地の良い瞬間が続くことを信じてくっついていた。
いつか心から理解しあえる日がくれば何の葛藤もなく一緒にいられると、どこかで信じていた。
そうして真正面からただぶつかり合ってきた彼と、やっと歩み寄ることができたと感じたのは、私のお腹に彼の子どもを授かったときだ。
望まれていなかった子どもだったから、すぐに祝福というわけにはいかなった。
子どもも彼も、諦めようとも思った。
けれど、もう撤回はできないほどの言い合いで散々傷つけあった果てに、彼と結婚し、子どもを産むことを決めた。
彼とのアメリカでの最後の思い出は、午後の陽だまりの下で交換しあった指輪。
道端で山と積まれて売られている、銀色の5ドルぽっちの指輪。
今でも薬指にはまっているそれは、どんな高価な宝石で飾られたものより、きっと一生大切にしていく指輪だろうと思う。
大好きだったアメリカのすべてにサヨナラをし、日本で平凡な主婦になることを選んだ。
まるで夢から覚めたように、現実味を帯びた毎日が今日も続いている。
この現実を選んだ理由の言い訳を並べるのは簡単だ。
でも何を言ってもキレイゴトにしか聞こえないのは、ただ、それだけ彼を好きだったからという、単純明快な一つの現実でしかないから。
子どものため、子どもがいるから、子どもを悲しませたくないから…
結婚の理由はそんなに美しいものじゃない。
ただ彼を好きだから、一緒にいたいから、別れる勇気がないから。
結婚しても、子どもができても、男と女である以上恋愛の対象でありたいと思う。
恋どころか生活すら、英語なんて微塵もない毎日。
恋をするなら英語がいちばん、なんて得意げに語っていたのに。
彼は私をハニーともスイートとも、パンプキンとも呼ばないけれど、恋は続いている。
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