カッコイイ女になりたい。
いつからか、そんなふうに思っている。
この「カッコイイ」は、ほかでもない私のモノサシによるのだが、
かつて、一つの条件として、
とにかく惨めにならない女、というのがあった。
こんなモノサシを持ってしまったのは、
かつての私が惨めな女であり、その状態にひどく嫌悪感を憶えたからだ。
大雑把に恋愛のことで言えば、フラれたときは誰でも悲しい。
プライドの高い私は、惨めな思いにもなったりする。
こんなプライドは余計なモノなのだが。
が、フラれて惨めになるならフラれない女になればいい、と思ってしまった。
この上なく単純な思考である。ばかな思考である。
そうして私はフラれない女になった。簡単だった。
あらゆる場面で妥協し続け、曖昧に事を済ませてゆけばよかった。
妥協する、つまり流される。
恋愛一つにも意志を持てない、ヘナヘナの女になる。
そんな状態では、当然だが満たされない。
惨めさを勘違いした私は、
更に惨めな女になり下がったに過ぎなかった。
なり下がって、ようやく分かるのもどうかと思うが。
フルとかフラれるとかではない。
そんなことで惨めになるようなじぶんが、惨めだったのだ。
ほんとうに惨めなのは、じぶんの現状を肯定できない女である。
妥協も曖昧も、時には必要だと思っている。
と言うより、そうせざるを得なくなる時がある。
自我ばかり通していては、
恋愛に限らず、人との関係は成り立たないのだから。
だから今、私は私自身を肯定できる女になろうと思うのだ。
たとえ流されても、意志を持って流されようと。
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