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   曖昧の美学  - Essay - vol.3  …by水源純
   
   ■ 元彼とのじかん
 
恋をすると、ほんの些細な一言に、多大な意味を込めてしまう傾向がある。
それが、お互いの気持ちの証しのように。
ふたりの間で交わされる約束など、そういう役割があると思う。
約束ではない、普段交わされる何気ない一言が、
ふたりにとっては、何気なくない意味を持つ。
そしてそれは、双方でおなじだけの意味を共有していればいいのだが、
一方が過剰な意味を込め出したら、終わりは近い。

別れ際いつも「じゃあ、またな」と言う、男がいた。
いたって普通だけれど。
彼とは半年くらい付き合って、けっきょくフラれたのだが、
別れてからも私たちは偶に会っていた。
恋人でもない友達でもない、曖昧な関係を築くことになる。
二度と会えないことに比べればそれでもよかった。そのときは。
そんな私は、「じゃあ、またな」という言葉に、どれだけすくわれたことか。
ああ、また、会える。今日も最後ではない。
まるで、精神安定剤を貰っているようだった。

ところが、何度目だったろう。
いつものその言葉が突如、私に不安を抱かせる。
この「また」はいつまで続くのか、私はいつまでこれに縋って生きるのか、と。

彼にとっての「また」と、私にとっての「また」の、重さが完全に違っていた。
私が一方的に過剰な意味を込め、大切にお守りのように持っていたに過ぎない。
そう気づいてしまった私は、
みずからの空回り具合をとても滑稽に思えた。

けれど彼のその一言は、確かに、あの頃の私の精神安定剤だった。
そして曖昧に繋がっていたあの頃は、私にとって、
つかまり立ちする赤ん坊のような時期だった。
私がしっかり独り立ちするまでの。

 
【プロフィール】
水源純(みなもとじゅん)。1975年千葉県松戸市生まれ。
共立女子短期大学を卒業後の20歳の頃、五行歌を書き始める。
1999年処女歌集「この鳩尾へ」刊行。2002年第二歌集出版刊行予定。
※五行歌とは、古代歌謡をベースにした新詩型。俳句や短歌と違い、季語なし、文字数自由、五行歌で書けばいいという詩型です。
   
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