ぼくの名前は皐月けんた。28歳、独身である。
「SM」と聞いて、なんだかいかがわしい倒錯の世界だなと思う人はたくさんいるんじゃないだろうか。でも、愛とか恋なんてものは心の奥底に隠蔽されている支配欲、独占欲が表層にわかりやすくあらわれたもので、支配し、支配されるという関係は、ある種、虐げ、虐げられるという関係と同義なのではないだろうか……。
な〜んて、書くと小難しそうだが、今回は精神的にマゾに目覚めてしまったぼくのはなし。
物心ついたときからピアノを習っていたぼくの一番最初に見た将来の夢はピアニストだった。
ただ、小学校の高学年ぐらいになると、男なのにピアノを習っていることが恥ずかしくなり、だんだん隠れてピアノを練習するようになった。
そして、まわりを気にして中学3年の時にピアノをやめた。
それでも、なんだかピアノに対する未練みたいなものは残っていて、こっそりひとりで練習をしていた。
高校一年のとき、学校で一番人気のあった先生は35歳の音楽を担当する独身の女教師だった。彼女はほかの先生に比べて若く、美人特有のちょっときつめの顔が、生徒たちの人気の的だった。そして細い金縁の眼鏡が知性ある女性というイメージを強調し、発情期のぼくたちをメロメロにしていた。
夏休みのはじまる直前の音楽の授業で彼女は生徒に「夏休みの間にどんな曲でもいいので、好きな楽器で演奏できるようにしてきてください」という課題をだした。
夏休みが明け、はじめの授業で発表会が行われた。
女子生徒が無難にこなしていくなか、男子生徒は、「ドナドナ」の縦笛演奏、矢沢永吉のものまね、調子の外れたハーモニカ演奏と惨憺たる演奏が続いた。そして、ぼくの番がきた。おもむろにピアノの前に座り、ショパンの曲を弾きだした。
その時点では、だれもぼくがピアノを弾けることを知らなかった。
はじめ、なにが始まったのか分からず、ざわついていた教室が次第に静まりかえり、ピアノの音だけが部屋のなかに響き渡った。演奏が終わった後われんばかりの拍手、みんなの驚いた顔、そして興奮した先生の目。
一躍ぼくはヒーローになった。
授業が終わりその日の放課後、先生に呼び出されてぼくの演奏のいい点、悪い点についてふたりっきりで音楽教室でレッスンを受けた。
そして、レッスンの最後に先生は「休みの日にピアノを教えてあげるから家にいらっしゃい」とつけくわえた。
それから、毎週土曜日の夕方は先生の家にピアノを習いに行った。
しかし、2DKのマンションでふたりっきりでピアノを習うというシチュエーションはいつのまにか先生と生徒という関係を女と男という関係にかえていた。
たぶんそれをはじめから先生もぼくも望んでいたのだろう。ピアノのレッスンをするために先生のマンションに行くのか、愛しあうために先生のマンションに行くのか分からなくなっていた。
そして、さらに加えると、先生はサディスト的な要素を多分に持ち合わせていた。ぼくのピアノの演奏を聴きながら先生はぼくを優しく罵しり、ぼくが謝るのを聞き興奮していった。
「そんなんじゃ、全然ダメ。気が狂うほど、恥ずかしくなるほど感情をいれて弾かないと。なんならそのプライドをズタズタにひんむいてあげようか」といいながらピアノの椅子の後ろからぼくを抱きしめるようなかたちで髪を振り乱し、感情的に演奏し、演奏が終わるとぼくを求めてきた。
また、ぼくが演奏している最中に先生はぼくの体を弄び、少しでも演奏が乱れると執拗に罵った。そして、そうやっていたぶられていくことがどんどんと快感になり、ぼくの体は開拓されていった。
そんなレッスンが半年ぐらいつづいた翌年の春、新年度になると先生は異動になった。ある男の先生が、ぼくと先生との関係を教頭先生に告げ口したらしい、と先生は泣きながらぼくに話してくれた。そして二人の関係はおわった。
それから10年以上たった今でもその刺激的な感覚っていうのは身に染みついているもので、感情的なピアノの演奏を聞くと時々発情する。
きっと十字架に貼り付けられたり、三角木馬にまたがされたり、ムチでうたれたりしてもこんな感覚にはならないんじゃないかな、と思う。
20年という逆らいがたいふたりの年齢の隔たりと、優しい精神的な苦痛がまぜあわさって、えもいわれぬ快感になっていたんだろう。
そして、今でもその快感を探し求めてしまうのだが、さすがに、「ぼくを優しく罵ってくれる結婚相手募集!」なんてできるわけもなく、途方にくれている。
う〜ん、やっぱりこんなぼくはまだまだ結婚ができそうもない。
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