「検査の結果は異常なし。おそらくストレスから来る…自律神経失調症でしょう」
若い医者は私と視線を合わすことなく、少し面倒くさそうに病名を告げた。
その頃、夫との関係に疲れていた私は、突然襲いかかる息苦しさと動悸に悩まされるようになっていたのだ。
「大丈夫か?」その夜、また訪れた急な動悸。
苦しくて胸を押さえる私に、夫は心配そうに、背中をさすってくれた。
「ありがとう…」そう言いながら、一方で「放って置いて!」とその手を払いのけたい私がいた。
夫への嫌悪感さえなければ、私は安定した生活と、妻という社会的地位を保証される。その何者でもない「妻」という言葉は、一人で生きていく勇気のない臆病者の私にとって、絶対不可欠なものに思えた。
夫への気持ちを話しても、頑固な彼に分かってもらえる自信はなかった。それよりも、話すことで夫との関係が一層悪くなる予感がして、はけ口を持たない私の心はどんどんと追いつめられていった。
それから、私は医者に勧められるままに、心療内科に通いはじめた。「病気が治れば夫への嫌悪感も消えていくのではないか」そんな小さな希望を抱きながら。
その日も心療内科に行った私は、「気を楽に持って、家にばかりこもらないように。」
というおきまりの言葉と、いつもの抗不安剤をもらい、帰り道を歩いていた。
信号待ちで立ち止まったとき、ふと、子供の声がして家族連れが目に入った。
3歳くらいの女の子を挟んで、夫婦が穏やかに微笑みあっている。
私は、幸せそうな彼らを見ても、羨望や嫉妬心を全く感じなかった。
私の心は自分でも驚くほどに空虚だった。からっぽな心のままに、ぼんやりと前を向くと高速で走りすぎる車やバイクが見える。
ふと「今、飛び出したら私、死ぬのかしら」そんな想いが大粒の雨のように、ぱらぱらと音を立てて私の乾いた心に降ってくる。
「!!!」
…と同時に、これまでに感じたことのない程の恐怖に身震いをした。
「だめだ。このままじゃ私は、本当に壊れていく」それは危機感というよりむしろ確信と呼ぶべきものだった。
次の日、私は新聞で見つけた求人広告に電話をしていた。
自動車販売の営業事務だ。それはもう、衝動的としか言いようがない。どうして働くことを思いついたのか、それすらも分からない。
何でも良かった。今の現実を変える為、出来そうなことは何でもしよう。
ただそれだけの想いだった。そして、
やがてそれは、後に私にとってのターニングポイントとなるのだった。
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